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食料事情の今と昔
090630_1854~01
飽食の時代にどっぷりとつかって生きてきた私たちにとって間近に迫る混乱と食糧難がどのようなものであるかを想像する事すら難しい。戦時中を生き抜いた方々の当時の生活を伺えば、不況といわれる現在ですらいかに恵まれたものであるかが分かる。                                                                                           1938年(昭和13年)に「国家総動員法」が制定され、すべての経済活動に国が介入するという統制経済の下、国民が真っ先に求められたのが「節米」という米の節約だった。 その1年後には「白米禁止令」が発令され配給制へと追い込まれていく。 しかし、驚くべきことに当時の国内消費量の約20パーセントを台湾と朝鮮からの安い移入米が占めていた。  1939年の空前の凶作に朝鮮が見舞われたことがきっかけでその不足分を東南アジアからの輸入米に頼らざるを得ない状況になった。                                                               
米を国外に頼っていた政府にとっての最大の問題はその「輸送」であった。この後、日本は太平洋戦争に突き進んでゆく・・・。  配給も滞り、途絶えがちの中でどのようにして人々は生き抜いたのか?                                                   すしずめの汽車に乗って地方への買出しと、「闇市」という非合法なルートに頼って命をつないだようだ。1944年の米の闇価格は公定価格の10倍,その年暮れには50倍に跳ね上がったという。ここにおいても「輸送」が重要課題となる。燃料がなければ輸送が滞り流通は破壊される。たとえそこに食べ物があったにしても届けられなければないに等しいのだ。
このため、そこかしこで畑をつくりいもとかぼちゃが米にかわる主食になったようだ。しかし敗戦後にはそれらすら、貴重品で普段の食生活の「野菜」に相当するビタミン源は道端の雑草や野菜の葉っぱだった。やがてそれらも摘み尽くされて文字通り「ぺんぺん草も生えない」状態になったという。                                                                                                                この時の教訓からか現在の日本の米の備蓄はそこそこあるものの、食料自給率は危機的状況にある。各国は保護主義の警鐘を鳴らすが自国が最優先という本音は当然だろう。食料、エネルギーを外国に依存する日本で今までの生活を維持するのは不可能と思う。                                                信頼できる人間関係を構築し新しい経済システムを学ぶことが今最も必要だと強く思います
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