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お気に入りのイパーンに庭のお花を飾ってみました
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おたくも!?「政府に騙された」
皆様、大変ご無沙汰しまして申し訳有りませんでした。

恐慌の気配を感じる時期はとうに過ぎて、いよいよ足音の聞こえる段階となってまいりました。
最近の韓、中,露の領土問題は日本の政治、経済の弱体化を見越して仕掛けられたものであり、戦争で儲けるしかない米ちゃんにとっては静観の立場を取っている間にぼうぼうと燃えさかってくれれば商売繁盛といったところでしょうかね。
それにしても、今更どのツラ下げて といった面々の国民不在の政治ショーと、都合の悪い事にはだんまりを決め込むマスゴミには ほとほとげんなりです。

中国では反日運動で盛り上がっていますがこんな報道もあるんですね。あんまりにも違いすぎるので笑っちゃいました。



人民日報、50年代「尖閣諸島は日本領」と報じる 市民ら「政府に騙された」
(12/09/07  翻訳編集・叶子)http://www.epochtimes.jp/jp/2012/09/html/d97871.html
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【大紀元日本9月7日】尖閣諸島(中国名、釣魚島)の領有権をめぐる係争が勃発している中、中国共産党の機関紙・人民日報の1950年代の報道が話題になっている。報道の中で、尖閣諸島を含む琉球諸島および小笠原諸島などの島々は日本の領土であると伝えていた。中国国内では、当時の記事のスキャン写真がネット上に貼り出され、ユーザーらの間で、反日行動は政府に騙され踊らされているものではないかとの見方が広がっている。
 1958年3月26日付の人民日報の社説「恥知らずの捏造」は敵の米国に批判の矛先を向ける内容だった。米国側は中国政府のラジオ放送に成りすまして、中国外交部の公式見解として、「中国は琉球諸島への主権を絶対に放棄しない」という「デマの情報」を広げている、と同紙は報じ、「これは悪意たっぷりの楔打ちだ」「米国の狙いは、日本への領土返還を求める沖縄人民の強い感情に水を差すためだ」と批判した。

 また、同社説は以下のことをも伝えた。周恩来元総理は1951年8月15日、対日講話条約(米英草案)およびサンフランシスコ会議に関する声明文で、琉球諸島と小笠原諸島などの地域への管理権を主張する米国を批判した。その際、同元総理は、「これらの島々は過去のいかなる国際協定において、日本からの離脱を定められていないと述べた。
 さらに、1953年1月8日付の人民日報は、「琉球諸島の人民は米国の占有を反対する戦い」と題する報道では、「琉球諸島は台湾の東北から九州の西南の間に点在し、尖閣諸島や先島諸島、大東諸島、沖縄諸島など7組の島からなっている」と書き出し、琉球諸島を軍事基地に変える米国に島の人民たちは強く反対している云々を伝えた。

 この2篇の報道のスキャン写真を国内の著名学者・呉祚来氏が8月17日に新浪微博で掲載した。「昔は米国帝国主義を孤立させるため、我が政府は釣魚島が日本のものと認めていたのではないか」「かつては釣魚島を人に渡し、今度は国民を煽って取り戻させようとしている。国民をバカ扱いか」「知識のない大衆が共産党に踊らされていることがよく分かった」「釣魚島に国旗を揚げる前に、人民日報本社に揚げるべきだ」。17日一日、共産党の喉舌である人民日報の往時の報道に1万8千人のユーザーが注目し、転載やコメントをした。同時に、同紙に事実関係の説明を求める声も上がっている。


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何ちゅーていいわけするんだ、人民日報。

感謝の日々
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何の世話もできず、ほったらかしでやせ細っていたばらを今年の春に一念発起して時間を作って土の入れ替えと施肥を行った結果、見事に生き返ってきれいに咲いてくれました。
そして出来る事はすべてやってきた結果、半身は麻痺していますが杖をついて歩けるまでに回復した主人。
脳内の新しくできた血管のおかげでしょうか嘗てほどではありませんがネット囲碁も初段級までできるようになった様です。バラと同じ生き返りました
仕事も一段落して事務所でバラを眺めながらまったりとお茶を頂く幸せなひととき。
こんな時間が持てるなんて一年前は本当に思いもよらなかった。

普通の人は普通に生きているのが一番しあわせです。

しかし、何事もなく普通に生きていくのが一番難しい。      良寛


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このひとときを大切にすべてに感謝して。
今の私がと~っても幸せ
お気楽にバラを育て、床や家具磨きを趣味にしていたのに主人の発病をきっかけにいきなり、一家の大黒柱になってしまった私。幸いにも主人の後遺症は半身麻痺でも過去の記憶は完全だったので今は二人三脚の不動産屋になっちゃいました。
最初の当たりがトラブルメーカーだったので夏ぐらいまではそれにかかりきりで投げ出したくなったり、悔し涙にくれたりとさんざんでしたが今はとっても元気です。助け合わないと成り立たない今の生活の中ですっかり、やさしくかわゆく変身した主人と私は嘗てとは違ってまるで新婚さんみたい。 キャッ
それと二人で一人前の私たちにもおかげさまで次々と仕事が頂け忙しいからです。
これがまた、主人にとっては何よりのリハビリになったようで秋の検査の結果、脳の梗塞部分に新しい血管が枝のように何本も延びていたのです。ご先祖様に感謝の日々です。

主人が元気なときに自前で作ってくれた不動産契約ソフトのおかげで怪しいワードやエクセルも何となく使いこなせるようになり、持ち前の図々しさもあってか契約書を読み上げるのもちょっと様になってきたかも。

増税やら放射能汚染やら不安で先の見えない昨今ですがこの仕事で感じるのは富める者は更に富み、貧する者が増え続けている現実です。
お金持ちの言うこと。「お金で持っててもしょうがない。」
もう、わかっているんですね~。

そしてお金に困ったり、破産したりした人々の手から驚くような値段で「土地」という資産がお金のいらない人々へと流れ出ていくのです。そんな訳で今結構忙しいわけです。

それぞれの人々を観察してある共通点を発見しました。
お金持ちはケチで細かいのに自分に不利にならないように、情報収集と周りへの気つ”かいには労を惜しまない。
対して貧する人はお人好しだけれど、リスク管理ができない人が多いように思います。
仕事の報酬としてのお金は生きていくための糧ですが資産を運用してふくらませたとしてもあの世に資産を持っていけるわけでもないのですから現世で他人様に迷惑をかけることなく、夫婦仲良く、なんとか食べていければ何より幸せ。

ということで、今の私がと~っても幸せというオチでした。チャンチャン!
怒涛のような9ヶ月
主人が脳梗塞で倒れ怒涛のような9ヶ月。その日、その日に出来ることを全力でやって何とかここまでやってきました。5月の主人の退院と入れ違いに痴呆症の義父が誤嚥性肺炎になり、気管切開をして二人目の身体障害者となり、要介護1の義母を含め健康なのは私一人というすごいことになりました。
ケアマネさんにまで同情される始末ですがきれいごとではなく、介護が大変だと思ったことはただの一度もありません。(いや、最初は正直、きつかったかも)

わたしの精一杯の介護が効いたのかどうか、かつては気の強い私と常に家庭の主導権を争っていた主人は病気になってからは本当に優しく私を気遣うようになりました。

嫁いびりが得意だった義母もちょっとした事にも感謝してありがとう、ありがとうと言って、可愛らしいおばあちゃんになりました。

遠くにいる小姑たちも感謝してくれるので悪い気はしません。

本当に辛く大変だったのは主人の仕事の残務処理でした。

このご時世なのだからでしょう。暗闇のジャングルではチョット目に美味しそうに見える手負いの動物は格好の餌食なのだと痛感しました。

モンスターはあちこちにいて病後間もなく、まともに歩けない主人をやむなく引っ張り回すこともしばしばで悔しいやら可哀想やらで車中で涙することもままでした。
そんな時は主人も申し訳ないと言って泣いてしまうので大声で「がんばろう!日本! がんばろう! パパ! 前に進むしかないんだよ!」と叫びます。
「おうっ!」
(なんちゅう単純な夫婦なんでしょ)
モンスターの牙の前に挫けそうになった時、心の支えになったのはただ一つ、応援して見守ってくれている関係者の方々に絶対迷惑をおかけしてはならないというそれだけでした。

今はまだ7合目あたりですが秋には心身ともにゆっくりと静養させてあげたいと思っています。

主人は20キロ痩せましたが煙草も止めて、顔色も良く、減塩と野菜中心の食事にプロテインで筋力をつけて体も引き締まって去年より若返ったように見えます。
私は2キロ痩せてナイスバディです(笑)

ご心配をおかけしましたが元気でやってます。
東日本大震災
去年のインターネットラジオドラマ「原発震災」に参加してシュミレーションはしていたものの、現実に大津波、原発事故、コンビナート火災と日々増え続ける死傷者の数と被害の甚大さに圧倒されて言葉もない。

家族を捜し、がれきの中で呆然と立ちすくむ人々の映像を見るにつけ、ただ祈るしかない自分がもどかしい。

被災された皆様がどうか一刻も早く家族と無事対面されますよう、心よりお祈り申し上げます。
血沸き肉躍る日々
契約目前に倒れた主人は信頼できる業者の方の助けで無事、お客に迷惑をかけることもなく契約を締結することができた。大きな土地売買契約だったのでそれなりのお礼もせねばと考えていたがあっさり、買い方の分は貰っていいんだなと言われ、その時寝返りすら打てない状態の主人はただ、黙ってうなずくしかなかった。
回復の見通しもつかず、将来に不安を感じていた私にとって大きな金額が半減したことは少々不満だったが「欲張るな。彼だからこそ成就できたのだから。0だったかもしれないんだぞ。」と、主人にたしなめられ、それもそうだと納得し感謝した。
数人の地主の残りの地面についてもこの不景気にもかかわらず、オファーをもらっており、相談したところ、経験豊富な彼からは冬の間は動かないし今は体を治すことが何より先決だからそれは慌てずおいておきなさいとアドバイスを受けた。

ところがその土地の売買契約を別件で隠れて進めていることがわかり、見舞いと言って病院に来た彼からは「こちらはこちらで話を進めるからそちらが決まったらまた連絡をくれ」との戦線布告。さすがの主人も「種まきをして20年、地主の首根っこは抑えてあるぞ」と言ったら「早い者勝ちだ」とのたまったそう。
そ~ですか そ~ですか 入院している夫に早い者勝ちですか。勝算あったんですね。
しかも組んだ相手は忘れもしない数年前に自分の不始末を全部主人に責任をなすりつけてだまし恩を仇で返した相手。警察や裁判所をかけずりまわって身の潔白を晴らしたもののあの時のくやしさを決して忘れることはできない。
彼は同じ輩ではないし、大変な時に助けてもらって感謝しているけれど早い者勝ちと言われてふっきれた。
それでは主人の指示のもと私が動くしかないじゃないですか。
入院中で何もできないと相手が油断している今こそチャンス。
遠方の病院から一時帰宅させてオファー先の若手と私とで主人を抱えるようにして地主詣での毎日。

元気な時はお人よしでただ働きばかりと思っていたけれど、主人の種まきをしてからの20年間はやはり無駄ではなかった。どこへいっても誠意をもって対応してもらい、めでたく契約の運びとなった。
バンザーイ!!!
刀を磨いて準備する
うら若き頃、私はテクニカルツアー専門の旅行会社の営業社員として働いておりました。英語は堪能ではなかったもののお客様の希望もあり、私自身の仕事の最終仕上げとして添乗員として海外に同行(当時はそれで通ったのです)することも多かったのです。


しかし、春先、秋口の海外の展示会には世界中から商談客が殺到し、一流ホテルでも行ってみたらオーバーブッキングで泊まれないとか霧のためにトランジットルームで10時間足止めをくうとか、はたまたストライキで列車が出ないとか常にトラブルはつきものでした。

アクシデントに見舞われた時のツアー客の一斉の不安げな視線を痛いほど感じつつ、背中の冷や汗を悟られないようにこやかに笑いながら見えないところで夜も眠らずに走り回ったり、時には泣きながら交渉したりと必死の毎日。

必死の努力はお客にも通じるのか帰国するころにはトラブルを乗り越え家族のように親しくなってリピーターとなってくれるお客様も多く、やりがいのある仕事でした。でも若いからできたのだと今つくつ”く思いますけど。


日本では笑顔で包容力のある立派な方にみえたのに足止めをくったトランジットルームで自分の腕時計を叩きながら商談に間に合わないじゃないか。どうしてくれる、責任をとれと怒鳴り散らす方に「霧で出ないのだから添乗員さんのせいではないでしょう。」とたしなめたのは気難しそうと感じていた方でした。

異国の地で一人、会社の看板を背負ってなんとしてもツアー客を無事帰国させねば・・・。大手の旅行会社のような万全のフォローもなく、色んな辛い経験を通して人の本質は追い詰められたときこそ表にでるということを知ったのです。そして最悪の場合に備え常に何があっても対処できるように心構えと準備することを覚えました。
このころの経験は今の私に本当に役立っています。

これからますます辛い世の中になってもそういう時こそ本当に自分にとって誰が信頼できる人なのか、必要な人なのかはっきりわかるいい機会です。

ただおびえ、悲観的になるよりも刀を磨いてどう動くべきか考え準備しましょう。


今私は戦いの最中で血湧き肉躍る毎日ですが生きてる実感があります。詳しくはまた。
お雛様
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毎日山のような雪と格闘しておりましたが、少し落ち着いたのでお雛様を出しました。
私が本当に小さいころはテレビや娯楽など何もなくて、両親が私や妹の為に半日がかりで七段を組んでお雛様を出してくれるのがとても嬉しかったことを思い出します。
この娘のお雛様とは23回目の春を迎えますが月日の経つのは本当に早いものです。
お道具などを並べていますとお雛様のとは比べようもないのですが、母の長持ち(今は物置でお座布団いれになっている 笑)や鏡台など記憶にありますのでタイムスリップしたような気分になります。
娘もそうですが欧米風の生活に慣れた若者にはピンとこない様で、このような日本の情緒ある文化が年々希薄化していくのではないかと残念です。

しばし、すべてを忘れていにしえの雅な雰囲気に浸ります。


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雛祭り」はいつ頃から始まったのか歴史的には判然としないが、その起源はいくつか存在する。平安時代の京都で既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていた記録が現存している。その当時においても、やはり小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられる。初めは「遊びごと」であり、儀式的なものではなく其処に雛あそびの名称の由来があった。しかし平安時代には川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり、「上巳の節句(穢れ払い)」として雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になった。
江戸時代になり女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、飾られるようになった。この遊びである「雛あそび」が節句としての「雛祭り」へと変わったのは天正年間以降のことであり、この時代から三月の節句の祓に雛祭りを行うようになったと推測されている。もっとも、この時代には飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いが強くなり、武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の家財のひとつに数えられるようにもなった。その為、自然と華美になり、より贅沢なものへ流れた。
江戸時代初期は形代の名残を残す立った形の「立雛」や、坐った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られていたが、これらは男女一対の内裏雛を飾るだけの物であった。その後時代が下ると人形は精巧さを増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」、大型の「享保雛」などが作られたが、これらは豪勢な金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた立派なものだった。この享保年間、人々の消費を当時の幕府によって規制するため一時的に大型の雛人形が禁止された。しかし、この規制を逆手に取り「芥子雛」と呼ばれる精巧を極めた小さな雛人形(わずか数センチの大きさ)が流行することになる。江戸時代後期には「有職雛」とよばれる宮中の雅びな装束を正確に再現したものが現れ、さらに今日の雛人形につながる「古今雛」が現れた。この後、江戸末期から明治にかけて雛飾りは2人だけの内裏人形から、嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、御殿や檀飾りなど急速にセットが増え、スケールも大きくなっていった。
WIKIPEDIAより
新年会報告
秋月新年会が1月22日に神戸で開催された。
主人の発病以来、病院と要介護の義父母の家の往復に明け暮れる毎日。
高次脳機能障害と診断され、思ったより後遺症が重かった主人の社会復帰はもっと先かもしれない。
子供達の巣立った今、家族4人の内健康なのは私一人という、笑うしかない状況の中、主人の退院前の今の内出れるときに出かけないとと、急き立てられるような気持ちで新年会に参加申し込みしたところ、何と私が幹事に任命された。
良くは分からないけれど、責任重大で大変だということだけはわかる。だって募る参加者は私よりはるかに知識もあって、電脳化した人達なのだから。
ひえ〜っ!!!  何でこんな時に私なの!?と喉まで出かかったのを飲み込んで前向きに見方を変えることにした。

よ〜し、どうせ出るなら近くに住む娘も神戸観光とグルメで釣ってふたりだけの家族旅行と洒落込もーっと。
それにそろそろ年齢的に婦人会やその他でも長を任せられる時期にきているのでこれを何とかこなせれば鬼に金棒だわ。
それから秋月で親しくなり、テレビチャットで真夜中におしゃべりしまくっている親愛なる女性陣にもこの機会に会おうと誘って応援を頼もう。
そしてなにより、主賓の若くて有能な電動バイクの開発者の門出を絶対に成功させなくては。

連山やメルマガでも取り上げていただき、インターネットラジオにも出演し、ブログ衆のご協力もあって、会場満杯の人数になった。
本当に情報化ってすごい力だ。
信じてもらえないけれど人前に出るのが苦手な私。不安でいっぱいで何度も段取りを確認したり、その時々にやるべき事を教えてもらったりして毎晩テレビ会議をした。
当日は参加の秋月メンバーの皆さんに強力にサポートしてもらい、おばちゃんパワー全開で何とか無事に新年会を終えることができた。


このイベントの成功の為に何度もテレビチャットで打ち合わせしたことで今までより一層強い信頼関係が築けたように思う。わたしにとって本当に良い勉強になったと思うし今回参加した娘の母を見る目もチョットランクアップしたみたい。
(今までは ーったく何やってんだかという態度でした。 えっへん)

年末から一週間めちゃくちゃ手のかかる主人の面倒と、その後、6日間親孝行と姉弟愛でわが家に滞在(3月また1週間来るとのたまう! 顔で笑って心は怒!!) なさった小姑さんのイベントをこなしつつ何とか無事に新年会を終えることができた。 感涙

皆さんと有意義で楽しい時間が過ごすことができて本当にありがとうございました。
そしてサポートしてくださったメンバーの皆様、深くお礼申し上げます。

http://jyoudou.net/blog/cat144/2011/

http://www.teamrenzan.com/
当日の実況中継です。さすがですね、早い〜(汗)

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